最近の主な研究内容(久保田耕平)

昆虫の種分化や交雑、分散過程、進化生態に関する研究

 人間が野生生物を認識する時、たいていはそれらを種というカテゴリーに詰め込もうとしてしまう。しかし、人間が認識している「種」はどれだけ確かなものなのだろうか?私たちはオサムシ科、カミキリムシ科、クワガタムシ科、コガネムシ科、ハネカクシ科、などのコウチュウ目の他、チョウ目、カメムシ目、ワラジムシ目などを材料として、種や個体群の形態的、遺伝的多様性や変異を解析し、交配実験を行うなどして、種分化の局面における遺伝的特性、個体群の動態や交雑の効果、様々な生態の進化プロセスについて研究を進めてきた。その過程で、隠蔽種の存在や交雑に起因する個体群間の遺伝子交流の実態などを次々と明らかにすることができ、予想以上に種多様性、個体群間・内の多様性が高いことがわかった。また、今まで系統関係のわからなかった分類群についても多くの系統情報を得ることができた。今後も幅広い分類群を対象に研究を進めてゆく予定である。

研究トピックス1 日本産ルリクワガタ属の系統と進化(研究トピックス5と関連

ヤマトアオダモの新芽に飛来した雌雄のユキグニコルリクワガタ(山形県西川町)。

日本産ルリクワガタ属の形態系統樹の一つ(32形質を用い、形質の重み付けの等しい最節約法でのmajority rule による合意樹)(Kubota et al., 2009を改変)。

コルリクワガタ種群の種分化

 日本に産するルリクワガタ属のうち、コルリクワガタは最も多型的な種として知られ、私たちの研究以前は外見の変異にもとづき基亜種を含む4亜種に整理されていた。私たちは3000個体以上の標本を検し、内袋形質を中心とした雄交尾器などの形態形質にもとづきこのグループの分類を再検討した。その結果、コルリクワガタとされていた種の中にはほぼ側所的に分布する4種が混在し、これらの種の地理的境界が従来の亜種の境界と大きく食い違っていることを明らかにした。交尾器の形態は驚くほど種内で変異が小さく、種間の差は歴然としていた。しかもこれらは側所的な集団であった。私たちはコルリクワガタとされていたものをコルリクワガタ種群と定義し、新たに2新種2新亜種を記載した他、従来亜種とされていた分類群を種に昇格させるなどの分類学的改訂を行った(Kubota et al. 2008)。これらのミトコンドリア遺伝子は地域分化が著しく、その情報から雌でも同定でき、またおおよその分布エリアの推定が可能である。

日本産ルリクワガタ属の形態解析、遺伝子解析にもとづく進化過程の推定

 私たちは雄交尾器を中心に32形質の形態評価、核遺伝子28SリボソームRNA領域、ミトコンドリア遺伝子COI領域の解析にもとづいて、日本産ルリクワガタ属の進化過程を推定した。その結果、日本産種の単系統性が支持され、約250万年前に大陸産の種と分化した後、日本産種の中ではコルリクワガタ種群とそれ以外のすべての種を含むグループの2系統に約170万年前に大きく分化したことが明らかになった。遺伝的な分化は西日本で著しく、東北日本ではあまり分化していないことが明らかになり、ルリクワガタ属などの冷温帯林の昆虫の多様化はより温暖な地域をホットスポットとしていることが示唆される(Kubota et al. 2009, 2011)。

 温暖化や森林の質の劣化などが社会的問題となっている。ルリクワガタ属のような限られた気候帯にしか生息できない昆虫にとって将来は明るいとは決して言えないだろう。ブナ林は西南日本で特に断片化しているが、そこに生息する昆虫の多様化はその西南日本でより著しい。私たちはルリクワガタ属のようにブナ帯に依存している昆虫の遺伝的多様性や種分化を広く調べている。その成果が、昆虫の多様性を維持できる森林管理のあり方に貢献できることを願っている。

(共同研究者:乙部宏、永幡嘉之、久保田典子、梅津和夫 敬称略)

研究トピックス2 アオオサムシとシズオカオサムシの種間交配実験

 日本特産のオオオサムシ亜属は外見がよく似ているものの交尾器形態の差によって識別できる側所的な種の組み合わせがいくつも存在している。

 この中で、三重県に分布するマヤサンオサムシとイワワキオサムシ(左図)で交配実験を行ったところ、妊性のある雑種はできるものの交尾器形態の差のため種間交配には大きなコストがかかっていることがわかり、このことが同化を妨げる大きな要因であることが示唆されている。この研究は交尾器形態の錠と鍵の関係がコストになっているということを実証した初めての研究例となった(Sota & Kubota 1998)。

 これを踏まえて、静岡県東部で分布を接するアオオサムシとシズオカオサムシでも同様の実験を行ったところ、同様の結果が得られた。しかし、雌雄の組み合わせを逆にすると算出される生殖隔離指数に差が認められた。この組み合わせではアオオサムシの方が交尾器が大きく、シズオカオサムシの雄とアオオサムシの雌の方が逆の組み合わせよりも雑種のできる確率が高かった。この2種では、形態上の種の分布境界とミトコンドリア遺伝子からみた種の境界が10km以上もずれていて、雑種形成とその後の戻し交雑に起因すると考えられるミトコンドリア遺伝子(母性遺伝)の一方向(アオ→シズオカ)への浸透が認められるが、交配実験の結果からもこの方向の浸透がおこりやすいことが裏付けられた(Kubota et al. 2013)。この実験は当研究室OBの海老原志保氏、宮崎幸司氏の行った実験を取りまとめたものである。

(共同研究者:高見泰興、海老原志保、宮崎幸司 敬称略)

オオオサムシ亜属を対象としたトラップ調査

トラップに落ちたミハマオサムシ(ミカワオサムシの亜種)。他の個体群から著しく隔離された孤立集団で、海流によって分布を拡げた可能性が示唆される(三重県御浜町)。

研究トピックス3 関東平野におけるコシビロダンゴムシ類の形態および遺伝的分化

 コシビロダンゴムシ科の種は、日本ではすべて在来種で、比較的自然度の高い緑地に生息するダンゴムシの仲間であり、都市近郊緑地の環境指標としても有用性が高い。関東平野にはトウキョウコシビロダンゴムシ、セグロコシビロダンゴムシ、タテジマコシビロダンゴムシ(以下コシビロダンゴムシは省略)の3種が分布するとされ、識別点なども図示されてきた。私たちは関東平野におけるコシビロダンゴムシ類の分布や形態的特徴、遺伝的分化を調査・解析してきた。その結果、従来トウキョウコシビロダンゴムシとされてきたものの中に、遺伝的にも明瞭に分化し、いくつかの形態的特徴で識別可能な2種が混在していることを発見した。これらはともに広く関東地方に分布するものの、現在までに同所的な生息地は見つかっていない。過去に記載された種の模式標本や原記載論文を精査したところ、これらの2種は実際には真のトウキョウとセグロに相当し、従来セグロとされてきたものは別種であることが明らかになった。関東地方のコシビロダンゴムシ類の遺伝的分化についても現在取りまとめを行っているところである。

 この研究は当研究室OBの金澤泰斗氏を中心に遂行され、分類学的検討は唐沢重考氏を中心に論文としてまとめられた(Karasawa et al. 2014)。

(共同研究者:金澤泰斗、唐沢重考 敬称略)

枯死材の分解過程における穿孔性昆虫の機能に関する研究

 枯死材の分解は森林生態系の物質循環を考える上で重要であり、最終的には主に微生物によって無機化されている。その過程において穿孔性昆虫類は微生物を利用し、あるいは微生物に利用されながら、枯死材の物理的破砕に大きく寄与しているものと予想される。材は主にセルロース、ヘミセルロース、リグニンなどの難分解性の物質から構成され、窒素などの栄養に乏しい。穿孔性昆虫と微生物の共生系において、昆虫はどのように必要な栄養分を獲得しているのだろうか。また枯死材分解過程における昆虫の寄与はどの程度なのだろうか。これまでにクワガタムシ科昆虫と微生物との共生関係についてある程度の研究成果があった。将来的には他の穿孔性昆虫も含め、枯死材の分解過程に関する研究を進めていきたい。

研究トピックス4 クワガタムシ科雌成虫における菌嚢と共生酵母の発見

 穿孔性昆虫の中には、菌嚢と呼ばれる特殊化した器官の中に微生物を保持し、それらと共生しているものが知られている(養菌性キクイムシ類、キバチ類など)。私たちはクワガタムシ科の雌成虫の尾端に菌嚢があり、その中にキシロース発酵性の酵母を保持していることを発見した(Tanahashi et al. 2010)。日本産クワガタムシ科の代表的な22種について調査したところ、全ての種の雌成虫に菌嚢が存在した。一方、雄成虫は菌嚢を持っていなかった。このことから、菌嚢の共生酵母は成虫の生存に必要なものではなく、雌が産卵する際に子に伝播されると考えられる。また、クワガタムシ科に近縁なクロツヤムシ科やコガネムシ科には菌嚢がなかった。この研究は当研究室OBの棚橋薫彦氏を中心に遂行され、現在では次に紹介する研究のように様々に発展しつつある。

(共同研究者:棚橋薫彦、松下範久、富樫一巳 敬称略)

研究トピックス5 日本産ルリクワガタ属と共生酵母の系統関係の比較(研究トピックス1と関連

 日本産ルリクワガタ属は10種からなる単系統群であることが知られている。これらは日本で多様化したと考えられるが、共生酵母もクワガタとともに共進化したのだろうか?私たちはこれまでに日本産ルリクワガタ属全種から共生酵母を分離することに成功し、その系統関係を検討している。これまでの解析からクワガタの種やその分布地域と酵母の系統には対応関係が認められることがわかってきた。しかし、両者の系統樹の樹形が全く同じとなる完全な「共種分化」ではなく、一部に食い違いが認められる不完全な共種分化であることもわかりつつある。たとえば、関東地方で同所的に生息するルリクワガタ、ホソツヤルリクワガタ、ユキグニコルリクワガタ(秩父亜種)の共生酵母を比較すると、ルリクワガタの共生酵母がもっとも異なる系統に属しているが、これは宿主クワガタの系統関係とは異なっている。今後はクワガタと共生酵母の分化過程の詳細比較や分化過程の推定、共生酵母の機能などに関して研究を進めてゆく予定である。この研究は当研究室OGの渡邉花奈氏を中心に進められてきた。

(共同研究者:渡邉花奈、川上華子・棚橋薫彦、深津武馬 敬称略)

その他にも昆虫の種や分類群の生活史や生態的特性の解明や、環境要因と個体数の関係、人工酸性雨の土壌動物への影響などといった、昆虫等の生態に関する研究に広く取り組んでいる。今後は森林や緑地の管理が昆虫群集に及ぼす影響などについても取り組んで行きたいと思っている。

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